こんにちは 西田です。
だいぶだいぶ、書き込み、コメントありがとうございます。
月初はちょっと、時間が詰まっていて、
コメント、明日以降しますね。
さて、
読ませていただいて感じたのは
・未知 ⇒ 知った 期待
・不安 ⇒ 自分がむいているのか、取り組むのに適切か
・能力や実際のステップへの期待
こんなことが混ざったコメントだと思います。
「やるかやらないか」についてちょっと思い出して
本棚からジム・ローンの本を引っ張り出してきました。
聖書にこんなことが書かれているそうです。
「夢とビジョンがないと私たちは腐敗する」と。
そして、
「君の能力は夢に追いつくように成長する」と。
そしてこんなよく聞く話ものっています。
What よりも Why 。
4つの理由はあるか?と。
1.認められること
2.感情
3.家族
4.博愛
1にせよ、どれもが「もっと」あるか?ですね。
事業をやって、周りに誰かがいて、お客さんがいて、
多かれ少なかれ認められています。
そして、褒められたり喜ばれたり、感情が伴っているはずで、
それを糧にもしていると思いますし
たいていは、家族のために、とか家族と○○をしたいからとか、
家族に何かを贈りたいとかがこれも多かれ少なかれあると思います。
4は分かち合う、と書かれています。
まだまだ僕にはわからない次元です。
分かち合うには十分に富むだけでは足らない、
十二分に汲めども尽きぬほどに富まねばなりません。
もちろん貧困の中でも分かち合うことはできますから、
富んでいることのみが分かち合うことの条件ではありません。
ただ、僕は「分かち合いたい」なんて思うなら
「十二分」に富むのが先と思っている、ということです。
ならば、現実的に理由になるのは
「誰かに認められたい!」「感情を味わいたい!」「それが家族」かもしれませんが
なんにせよ、理由、がないと、動けませんよね。
たとえば、起業家たるものであれば、
自分よりもより上位の誰か、少なくても自分のレイヤーの仲間、
起業家の目線から認められるくらいの結果、というのも理由になると思います。
それによって、こんちくしょうとか、
うれしいとか、誇らしさに伴う心地よさとか
感情が欲しいから理由になるんですよね。
そして、その結果、誰か家族に何かをできないか、してあげられないか?
そういうのが理由になります。
そういう理由なしに駄目なのは「高尚」な感じ、ですね。
「日本一の○○」よりも「日本征服」とかあからさまな欲求感があった方が
「理由」として、自分に落ちやすいですね。
だからたとえば「認められたい」にしても
稼いでいる、事業の数字として成功している、
儲かっている、なにか成し遂げたなどなど
直截的なものほど、自分もわかりやすく人にもわかりやすいので理由になりやすいです。
僕は揶揄して馬鹿にしていつも使う事例。
ネットワークビジネスのMTGに参加してやる気になってしまって
「年収1億円!」って叫んでがんばる。
でも。
リアリストのぼくらこそ、
こういう「うさんくさくて」「うっとおしくて」「赤裸々な」「あけっぴろげな」
欲求の提示が自分に必要だと思います。
変に大人なのが一番駄目ですね(自戒・自戒・自戒)
以前に参加したことがある「ツキの大原則」の西田先生が言っていたのかなぁ
「野望・強欲・○○制覇」。
「大人じゃ無い人」と実践してきたい、と思っています。
こういうのがないと結局やらない、やっても途中で折れますよね。
そして
数字はクールに大人に、ね(笑)。
にしだ拝